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どんな過去どんな私も、全部大切。

こんにちは。

 

みなさんにとって大切な過去ってどんなものですか?

 

 

わたしは23歳で適応障害にかかってからいろんなことがあった数年間でしたし、どん底まで辛い思いもしたし、逆に病気になる前は楽しいことがたくさんの日々でした。

 

しかしながら、病気にかかった当初から「もうこんな思いなんて二度としたくない」「一刻も早く忘れてしまいたい」と思ったことは一度もありません。むしろ「私をつくった経験の一つ」と考えているので忘れたくないし、その頃にしかなかった感性があったのも事実です。

 

 

登山後の朝焼けに心震わせられる瞬間。いろんな人が涙が出そうなくらい助けてくれた瞬間。そういう、「心が震え上がる出来事」「心が揺さぶられるとき」、それらが全て貴重なんです。辛かった時も私の中では全く同じものなんです。心がすごく揺さぶられた。あんなに揺さぶられることは普通ないでしょう。

とかいいながらも、本当に忘れてしまいたいことも多分あって、それはもう覚えていません。(笑)

貴重だと思える過去はたまに振り返りたいし、そのときの自分がどんなにつらくても、なかったことにはしたくない。全部私だけの宝物です。

 

 

生きづらい状態から悩み抜いて「生きやすい行動と思考で過ごしてみる」という練習をしました。実際、生きやすくはなりました。ただ、たまに違和感にぶち当たります。

生きづらい原因をたくさん回避してがんばってやっと生きれているのに、どうしてそれを「生きやすい」と括ってしまうのか。勘違いしてしまうのか。辛いことをなかったように振る舞おうとしてしまうのか。

 

なんにも生きやすくなんかない。病気にかかる前の昔みたいには毎日生活できないし、いろんなことが重なって追い込まれて息がしづらくなるようなことだってしょっちゅう。やっと生きてます。

 

 

当たり前のように過ごせてる今は自分の努力と周りの支えのおかげだと、それこそが貴重なことなのだと自覚しています。なんていうか、全てが貴重な通過点で、忘れたくない大事なものなんです。

誰になんて言われようと、心のどこかで、「全て特別なものだった」て思い込みたいんです。

 

 

 

 

自分の話をする機会があると、「話してくれてありがとう」と言われますが、こちらこそありがとうなのです。自分を振り返る時間をもらっているのはこちらです。

 

私はいつまでも私自身の軌跡を忘れずにいたいのです。