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【人に期待することで悩む人へ】原因は”ものさし”だった!?自己肯定感が低いことも関係する?

(2021年2月7日更新)

こんにちは。そろそろ年末になりますが、みなさまいかがお過ごしですか?私はあいかわらず、ほぼ引きこもり状態です。

 

 

こんな経験ありませんか?

例えば、人になにかをしてあげたときに相手からの反応が全く得られず気分が下がる。わかりやすく言えばプレゼント。あげても相手があんまり嬉しそうじゃなくてショック受けたり、相手からのお返しがなくてガッカリしたり。ありがとうの言葉がなくてげんなりしたり。

これらって”相手が喜ぶ”ことを期待して行動をしているからこうなるんですよね。だから期待にそぐわないと、気分が落ちて萎えてしまう。

 

今までずっと”人に期待している”ことは自覚していました。昔は「自己愛が強い」という結論に至っていましたが、違った観点から考えることで少し楽になれたので共有させてもらいます。(自己愛については後に記述) 

原因は”ものさし”

タイトルにも書いてある通り、原因は”ものさし”だと思います。あくまで比喩表現なので、これからわかりやすく解説していきたいと思います。

人は自分の価値観をある程度もっていると思うのですが、それと同じ価値観を相手に求めてしまっているんですよね。つまり、相手を同一視してしまっているのです。さて、同一視とは一体どういうことでしょう?

例えば、

自分がされて嬉しいことは相手もきっと嬉しいだろう。

この行いは周りから認められる行為だろう。

このように、自分の価値観と同じものを他者も求めているだろうと思うことなんですね。

 

人はそれぞれ自分のものさし(価値観)を持っています。この”ものさし”(=価値観)はいろいろなものに変身して常に私たちの脳みそに存在するのです。今からいう概念は全て(ものさし)と変換して考えてみてください。そのものさしの長さや単位は人によって様々で、それが全く同じもしくは似たようなものであれば期待通りのものが得られるでしょう。しかし、ものさしは同じとは限りません。

わかりやすく言えば、理想(ものさし)が高い人がいればが低い人もいます。怒りの沸点(ものさし)が高い人がいれば、低い人もいます。ここからはもうわかりますよね。何をもらっても嬉しいと思う人がいれば、こだわりをもつ人もいます。そういうことなのです。

 

がっかりしやすい人は「私はこうだから相手も同じはずだ」と自分基準のものさしではかってしまう。(これを同一視といいます)逆に人に期待しない人はそれぞれのものさしをしっかり理解しているので、期待せずに済むのです。 

今まで人に期待することは一方的なものだとばかり思っていました。しかし考えのベクトルを他者ではなく自分に向けて見た時、考え方がまた変わって楽になれました。

  

  

自己愛について

 先ほど述べた自己愛についてですが、今までは「自己愛の高い人間が人に期待しやすい習性があるのではないか」だけ思っていました。

例えば【人に期待する=自分は期待してもいい人間だ】と思うこと。わかりやすくいえば、「私は人から愛される権利のある人間だ」とか「人にものを与えたから与えられるべき存在だ」とか思うこと。書いててすごくおこがましいな・・・と思ったんですけど、多分今までの私はこう思って過ごしてました。だから相手への期待を獲得することができずもやもやしたり、萎えたりすることが多かったです・・・。お恥ずかしい。

ずっと不思議だったんですよ。人に期待しないという人がいるけれど、なぜそんなことができるんだろう?って。他人をコントロールすることなど不可能だとわかっていながらも、あまりにも人に期待しすぎる自分が面倒くさく感じ、自己嫌悪する日々でした。

自己愛が強いが故に相手に自分の価値観(ものさし)を押し付け執着し、依存することもあるでしょう。自己愛(ものさし)を他人になすりつけるようなイメージですね。「自分のこと好きでいてくれるよね?」とか「自分はもっと受け入れられるはずだよね?」とか、極端に言えば手放しにかわいがられる幼児のような状態を自分に期待し、それを相手に共有しているわけです。

 

振り返ってみれば、成人するまでは人と喧嘩することもよくありましたし、今よりも周りに期待することってなかったと思います。周りが仲良しグループでわいわいしているなか一人でも平気でしたし、好きな人ができても今とは違う感覚で恋愛をしていたと思います。もちろん恋愛面に関しては年齢が大きく左右していることもあるのですが、一概に年齢で一括りにできないものだと思います。

期待することで生まれる苦しみ

いつから人に期待するようになったのだろうと考えると、やはり成人してからのような気がします。大人って手放しにかわいがられることなんてそうないじゃないですか。だから手放しにかわいがってくれる年上には今でも懐きますし、受け入れられたときの喜びは大きいです。

そうやって自分にとって都合のいい人を選んできたんだと思います。自分を嫌う人のことをわざわざ好きになろうとする必要はないかもしれませんが、少しでも相入れないような人と仲良くするのは避けてきました。これだけきくとごくごく普通のことのような気もしますが、距離をあけるというより”断つ”ということをしてきたのが極端だったと思います。断つことで大きな後悔もたくさんしましたし、逆に「自分の行動によって嫌われるのではないか」と大きな不安が押し寄せることもありました。

 

自己肯定感の関係性

ツイートにも書いたのですが、自己肯定感は他人への期待と結びつくのでしょうか?

あくまで自論になりますが、自己肯定感が高い人って周りへの期待値も少ない気がします。なぜなら、自己肯定感の低い人間と比べて自分のものさしがしっかりと安定しているから。自分自身を素直に受け入れられている(自己肯定感が高い)ため、余裕があって自身をしっかりコントロールできる人が多い。自己肯定感の低い人間は自分に思考の軸を向けやすい傾向にあると思うのですが、自己肯定感のある人は自分をすでに受け入れられているので自らのことを深く考える必要性がないと思うんです。

もっとくだけた言い方をしましょう。

「これくらいのことはできる」とか、「ここまでが限界」とかちゃんとわかってる人が多い。そして過去の成功体験をしっかり自分のものにし、それを繰り返しやり遂げることができる人だと思ってます。「自分はここまでできるけど、こんなことはできない」とちゃんとわかっているし、「もしかしたらこれはできるかもしれない」「これは限界を超えているのではないか?」ときちんと線引きできていて、心に余裕ができているから自分のこともコントロールできる人が多いのではないかと思います。

要は自分は自分。他人は他人。といった考え方をしっかりできるのが、自己肯定感が高い人なのではないかと思います。

自己肯定感の低い人にも様々なタイプがいますが、例えば私のようなタイプを例にあげましょう。

自らに悲観的であるが、自己探究心が強く自己肯定感をあげたいと思っている。

このような自己肯定感の低い人間は自分に対する関心が強いため、自己愛も強くなっているのではないでしょうか?

その他には以下のようなタイプがあります。

⒈自己評価が非常に低く、自分ができることは他人もできて当然と思いがち。そのため、「なんでこんなこともできないんだろう」と見下ししまうこともしばしば。

⒉自分の可能性を捨てている。自分は何もできない人間だと思い込んでいる。

⒊自己評価は低いが、自分はもっとできるはずだと思っている。しかし理想と現実とのギャップに苦しみ、自己評価がどんどん低くなっていく。

⒋自己評価は低いが、他人から評価を低くされることをひどく嫌う。そのため自己防衛能力が強く働き、暴力的だったり威圧的な態度を周りにとってしまう。

 

私の場合は3に大きく当てはまるのですが、人間性の問題ですので、必ずこの枠!というより、いろんな部分をかいつまんで構成されているものだと思います。

 

 

まとめ

人に期待してしまう原因をまとめましょう。

 

自分と他人を同一視してしまう。=同じものさしで測ってしまう(一番の軸!)

・自己愛が強く、ものさしを押し付けてしまう。

・自己肯定感が低く、ものさしが安定しない。

 

自分は自分。他人は他人と割り切って考えることができたら、あなたの悩みや苦しみ、自分をコントロールできなくてもやもやする日々からはおさらばできるのではないでしょうか。もちろん簡単なことではありませんが、一緒に少しずつ頑張りましょう!! 

 

あなたの毎日に少しでも希望がうまれますように。本日はこれにてサヨナラ〜!