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しあわせとは。①

(2020年1月9日の記事を更新したものです。)

こんにちは!今日はなかなか起きられませんでした!このところ微熱がずっと続いている私です。もしかしたら平熱が上がったのかもしれません。だとしたらすごくいいことですよね。

 

 

ある日、「幸せってなんだっけ〜。」なんて、お風呂場でシャンプーしながら、ぼけーっと考えてました。

 

 

  

みなさんにとって、幸せとはなんだと思いますか?

 

私自身の結論から言うと、幸せとは「満足から得られるもの。」そしてもっと言えば、自らが感じるものだと思います。つまり幸せ検知能力みたいなものがないと、幸せはいつまでも感じられないのです。なかなか難しいですよね。同じ条件でも、自分のこと幸せだと思う瞬間もあれば、そう思えない瞬間もあります。

また、自分の幸せが他人に理解されなかったり、幸せを感じられる環境で感じられない人もいますよね。これってあって当然のことなんですよ。人によって価値観は違うし、人の心はいつも同じ状態ではないから。

  

 

さて、これをベースに「幸せとは」について考えていきたいと思います。

 

 

 

 

「幸せってどうしたら発生するんだろう」

 

上で記述したとおり、他の人にとっての幸せが必ずしも自分にとって幸せかどうかはわからないわけです。

人から愛されることで幸せを感じられる人がいれば、状況に応じて窮屈に思ってしまう人もいます。同じような状況の家庭でも幸せを感じる人と感じない人がいるでしょう。同じ条件でも、感じ方は人それぞれということです。

 

 

よく「幸せにしてほしい」「幸せになりたい」とかいうじゃないですか。私の意見になりますが、本人の考え方とか行動次第で幸せっていつでも得られるんですよ。ただ現状に満足していない、もしくは足りていないと感じる。つまり、不満に思うから幸せが得られないわけですよね。

 

 

「幸せにしてほしい」って、他人から幸せを与えられることを求めているわけです。言い方悪くしたら「私を誰か幸せにしろ!!!してくれ!!!」ってことです。

人のことを動かすって相当難しいことですし、言葉を選ばずして言うならば、傲慢だなぁと私は思います。自らが幸せを感じようとする努力をしていないのではあれば、なかなか幸せの獲得は難しいと思います。たとえ自分の都合良いようになったからといって、幸せと感じられるかどうかはわかりません。

「幸せになりたい」って、自身の行動や感じ方に何か変化を加えない限りはかなえられないのです。

 

 

 

ブログのはじめに結論として述べさせて頂きましたが、少し言葉を変えてみましょう。

幸せとは与えられるものではなく、自らが創るもの・成し得るものだと思うんです。

 

 

今の環境に不満を抱き、幸せと思えないのであれば、自ら幸せを切り開いていけばいいんです。もちろん簡単なことではありませんが、心の環境をかえるための些細な努力で、もしかしたら幸せが手に入るかもしれない、と私は考えています。

 

 

 

 

あれ、タイトルに①ってついてますよね、この記事。お前まだ幸せについて語る気かよ・・・そう思ったアナタ。ちょっと視点を変え、これに関連した記事をかきたいので②も待っていただけると幸いです。

自分の認識を改めるってなかなか難しいことです。本を読んだり、映画をみたり、実際になにかを経験することで見えてくるものはたくさんありますが、考える機会は設けない限り、なかなか作れないものですよね。

 

 

 

今の自分の毎日に物足りなさを感じる人へ。

どうしたら自分が幸せを感じることができるのでしょうか?

自分にとっての幸せってなんだろう?

 

一度、考えてみるといいかもしれません。

そしてこのブログが少しでもあなたの考えるキッカケになれば幸いです。

 

 

 

もちろん、無理はしすぎず!

 

 

あなたの毎日に少しでも希望が生まれますように。本日はこれにてサヨナラ〜!