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私の適応障害について。

こんにちは!

ふとマンガとブログを読み返していると、記事の節々や漫画には出てくる適応障害についてかいてないな〜と思い、今回は執筆させていただきます!

 

 

 

 

適応障害とは

ある特定の環境下でストレスが限界突破したとき、心がひどく憂鬱になったり、身体に異変が出たりする。これは適応障害です。

 

適応障害の症状

例えば・・・

 

仕事のことを考えるだけでひどく憂鬱な気分になる。

特定の誰かと会うだけで緊張して動悸が激しくなる、ひどい不安に襲われる。

 

 

うつ病にも似ていますが、適応障害は「ある特定の環境下に適応できない状態」なので、その環境やストレスの原因を離れると元気になります。

ひどい場合は仕事にいこうとしてもいけないと、やらないといけないことができないという状態になり、周りからは「甘えている」「怠け者」と思われやすいです。

 

 

私の症状について

私は別の環境で今まで3回、適応障害が発動しています。それぞれ当時の出来事をふまえながら説明していきます。私の適応障害ADHDによる弊害のようなものですので、ADHDについても触れていこうと思います。

 

 

アルバイト時代

1回目はアルバイト時代。当時大学2年生の私は接客業がしたく、居酒屋でのアルバイトをはじめました。そこではとても丁寧な接客を教えていただき、私の接客は社長からも店長からもお客様からもとても評価していただけました。しかし、私は接客以外の仕事が苦手でした。

 

今思えばADHDによるものが大きいのですが、耳から聞いた情報を記憶することが私は苦手です。レジ打ちのミスが人より多くありました。物事の順序を決めるのも苦手で、仕事の効率もとても悪かったです。事務作業も苦手で、会計ミスも多くありました。お客様からの評判はよかったですが、一緒に働いている従業員にどう思われているかが非常に心配でした。過剰に気にしていました。(周り曰く)

 

 

ある日アルバイトに行きレジにたつと、動悸がしました。とつぜん暑くなり、胃が痛くなりました。キリキリキリキリと胃はどんどん痛くなり、その日は早退しました。

 

これがまさしく1回目の発症でした。

 

接客は好きだったのですが周りの目が気になって仕方がなく、どこか頭の片隅に他人からの評価を気にする自分がずっといました。それが当時めちゃくちゃストレスで。そのストレス自体は自覚していました。

 

 

同時に、人間関係もひどく悩みました。

 

私をとても敵対視している同期がボス(笑)のように後輩に私の悪口を言いふらし、それに洗脳された後輩もいました。当時その件で人間不信になりました。

 

 

辛いことはたくさんありましたが、接客が好きだったことと周りからの激励で、2年半の居酒屋アルバイトを果たすことができました。

 

 

 

新社会人時代 〜パワハラ編〜

パワハラ」が原因で私は2回目を発症しました。

 

当時新社会人。やる気に満ち溢れていました。同じ課の同期より私の方が何倍も成績がよく、はじめはその同期がパワハラにあっていました。その同期は実家の都合で退社し、標的が私に変わりました。

 

いつ話しかけてもイライラしている。「質問がわかりにくい。もっと完結に!」と強く注意されました。取引社数が周りより多かった書類ミスなどによるクレームも多く、ADHDによる衝動性で自己判断で勝手に動いてしまい、炎上することも多々ありました。

アルバイト時代同様ミスの多さで、目に見えてわかるくらい、周りよりも圧倒的に怒られていました。

 

 

怒られることがこわくなり、上司に話しかける際はとても頭を使いました。どのように伝えればわかりやすいか、自分が伝えたい要点を絞って完結に伝えなければ。そうしたことで頭はいっぱい。考えていると「なんで手を止めているの?」と上司から言われるので、仕事をしているフリ・・をしながら考えなければいけない。仕事の効率がどんどん落ちていきました。

 

 

 

そしてある日、その時が訪れました。

 

会社に向かう足がどんどん重たくなっていきます。電車ではそわそわ落ち着かない。会社では上司の正面の席だったのですが、上司に見られていると思うだけで頭が真っ白になり、胃がキリキリしました。理不尽なことで怒られると怒りとそれを我慢する気持ちがぶつかり、頭が沸騰したような感覚になりました。たまに、脳みそがじゅわっと溶けるような感覚もありました。そして怒られたあとにトイレに入ると、ぶわっと涙が溢れてきました。もう限界でした。

 

そのまま私は休みをとりながらでしたが、上司への指導が入り職場での環境が改善され、なんとか1年目を終えることができました。

 

 

社会人2年目 〜心折れた〜

1年目の成績がとてもよく、期待された中での2年目でした。配属エリアが変わり、先輩の引き継ぎも含めて新規企業も開拓していく任務を課せられました。当時の私はやる気満々。

 

しかし、そううまくはいきませんでした。1年目に比べると全く成果が出ていませんでした。1年目はノルマの2倍の売り上げがあったのですが、2年目はノルマをギリギリ達成するくらい。

とても悩みましたが、仕事への熱は冷めてなかったので上司や先輩にたくさん相談をしました。叱咤激励を受けながらも自分に鞭を打って頑張りました。

 

 

 

が、ダメでした。

 

 

 

「これ以上頑張れない」

 

 

 

それから私はどんどん崩れていきました。

 

 

朝、起きられない。起きても身体がだるく、会社にいけない。やっとの思いで会社にいくも仕事のやる気が全く出ず、また「仕事をするフリ」をよくするようになりました。キーボードに手をおくと視界がおかしくなったり、冷房ガンガンの中自分だけがやたら暑がるようなことがしばしばありました。この時は涙が出るとかそういうレベルではなく、「無」に近かったです。とにかくやる気が喪失して私には何も残っていませんでした。

 

アルバイト時代、人からの評価を気にして胃を痛めていた私は社会人1年目でも同じことが起きました。社会人2年目では人からの評価もなにもかもどうでもよくなり、とにかく頑張れなくなりました。

 

「やめよう。」

 

そう思い、上司に言いました。上司からは説得され、とどまることに。(パワハラを受けたときもやめたいといったのでこれが2回目)

 

それでもやめたい気持ちは止まらず、再度「やめたい」と相談しました。すると、次の移動で仕事場を仲のいい同期の多い事業所にするからそこで新しくがんばらないか?と提案され、その時は条件を飲みました。

 

 

 

しかしダメでした。もう頑張れませんでした。適応障害の症状は止まらず、どんどん休みが増えていくばかり。

 

最終的に、休職しました。

 

 

 

 

みんなに伝えたい 

私の例はほんの一例にすぎません。適応障害は多くの人が発症するものです。しかし人それぞれ症状は変わってきます。パニック障害のように動悸や過呼吸が止まらなくなる人もいますし、貧血のような症状を起こす人や、私のように脳みそや視界がおかしくなる人もいます。

 

今この記事を読んでいるあなたも、いつかかるかわからないのが精神病の怖いところです。自分は大丈夫!と思っている人もかかりうるものです。

 

 

 

そうなる前に、まずは自分の心のサインに気づいてあげてください。そしてそれに向き合ってあげてください。逃げることも選択肢のひとつです。一息いれることは甘えではありません。休憩も大切な自己管理です。

 

家族や友人や恋人に頼るのもひとつの手ですし、周りに言えない場合はカウンセリングもおすすめします。本当に困った時はお医者さんに頼ってください。

 

とにかく、一人で頑張らないでください。あなたの抱えているものは一人では抱えきれない量になっているかもしれません。

 

 

気付けなかった私のようにならないでほしいです。私は適応障害からそのまま自己嫌悪による抑うつ状態(うつ病のようなもの)になりました。そして今はニートです。

 

このようになる前に、ぜひ気づいてほしいのです。

 

私が1番伝えたいこと。

「自分を守れるのは自分だけ」

人の手を借りる選択をするのも自分です。動くのは自分なのです。

 

 

この記事が誰かのためになれたら幸いです。

 

 

 

あなたの毎日に少しでも希望がうまれますように。本日はこれにてサヨナラ〜!