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当たり前の日常が恐怖に変わる瞬間。〜コロナ禍で思うこと〜

(2020年7月6日投稿記事を更新したものです。)

こんにちは!今日は私の実経験を元に、こえ〜〜〜!!と思ったことをお話ししていこうと思います。

私の過去の話になります。ゆるっと読んでください。

 

 

 

 

虫とかおばけとか怖いものはいろいろあるんですけど、「今までで一番怖かった体験はなに?」ときかれたら私は確実に、こうこたえます。

 

「当たり前の日常が当たり前ではなくなること」

 

当たり前が当たり前ではなくなることは、コロナで全世界が思い知ったことでしょう。

 

 

 

世界規模ではありませんが、私にも当たり前だった日々が変わってしまったことがあります。これは私の中で一種のトラウマと化して、現在も生きています。

 

社会人1年目。当時はパワハラにあっていました。これはもう何度もブログや漫画で記述していますが、本当に辛かったんですよね。

わかりやすくいえばいじめのようなものでした。毎日上司がイライラしていました。質問をすると「何が聞きたいのかわからないからもう一回ちゃんと考えてから来て。」といわれ、質問を考えていると「なんで手をとめてるの?お客さんに電話しないの?」と言われ。電話をしていてもなんとなく視線を感じました。「(受注)とってこいよ」と言わんばかりの視線を・・・。そんな状態の中、気が休まるわけがないわけですよ。当然ずっと脳みそはフル回転ですし、その中で常に何かをしている”フリ”をしていなければならない。手をとめていると必ず指摘される。

怒られるのが嫌だから、何かしている”フリ”をする。

けれどもフリはいつかバレるので、意味のある”フリ”でなければならない。なので私は常に顧客に電話をかけたり、資料を作ったりしていました。その電話が本当に必要なものなのか、資料が有益なものなのか、わからないまま。

そして適応障害は徐々に徐々にその片鱗を強めていくわけですが、まぁまず脳みそが回らないしトイレにいってホッと一息つくと涙が出てくるし考えたいことが考えられないし、自分の身体を自分で制御できない状態になってくるんです。

これって実はめちゃくちゃ怖くて。

 

 

普通の私であれば、「今日はこのタスクをこなしたあとにアポにいって、アポから帰ったらこれをこなして帰ろう。」と優先順位をつけてから予定をたててそれをメモし、1日の行動方針を決めていく。

  

それら全てができなくなりました。

  

まず、出勤した時点でほぼ必ず上司がいます。朝のスケジュールメモをとっている間に「何か言われるのではないか」という恐怖心がうまれ、優先順位を考える脳みその余裕がなくなります。そしてメモはごちゃごちゃに。次に、ひとつひとつのタスクをこなすことが容易ではなくなります。通常よりも時間がかかるようになります。これも脳みそが正常に機能しないせいだと思います。そして上司がいる間はとにかく同じ空間にいるだけで息をするのもしんどくて、トイレにいく回数が増えます。デスクに座る時間が減り、仕事量がさらに下がります。

アポに出ると上司がいないので、唯一ホッと息がつける。

かと思いきや、そうでもありませんでした。とにかく休む精神なく働いていたので、上司がいなくなっても「働かねば」が一生つきまといました。

 

そうして、「目の前の仕事を通常通りにできなくなる」という事態に対面しました。

 

  

社会人2年目の初夏。

2年目になってから業績が芳しくありませんでした。はじめは上司や同期に相談しながらもなんとかモチベーションを保ちながらがんばっていましたが、どんどん仕事へのやる気が急激になくなっていきました。

前のように頑張っても全く成果が出ない。それ以上頑張るだけの体力も残っていませんでした。そしてどんどんサボるようになり、募る罪悪感。サボろうと思ったときやサボった後は最高に解き放たれた気分になって罪悪感とかないんですけど、業績にあらわれたりするようになるとただただ単純に「ヤバい」という気持ちになっていくんですよね。なにがヤバいかっていうと、周りの目。「こいつサボってるな」と見透かされることが怖かったです。なんせ、それまで必死こいて頑張っている態度を評価されていましたから、頑張らないと見捨てられると思いました。誰もわたしのことを評価してくれる人がいなくなる恐怖と毎日たたかっていました。

 

そしてここで適応障害再来。朝起きると、唐突に「今日は確実に仕事にはいけない」という状態になることがありました。なんといったらいいんでしょうか。抽象的になってしまうのですが、とにかく強い絶望感と虚無感。身体が非常にだるくて動ける気がしない。準備をする気にもなれない。会社にいかなきゃと考えれば考えるほど涙が出てきて止みませんでした。それが何度か続きました。

そのときに怖くなったのです。

「明日の私は会社にいけるのか…?」

 

大きな取引の際は早退覚悟で身体に鞭をうっていましたが、それ以外はよく休むようになりました。本当に行けなかったんです。しかし仕事をしているフリだけはしなければならなかったし、業績もそれなりにとらなければいけなかったので最低限頑張りはしました。毎日が辛かったです。死にたかったです。無理やり会社へいく日は、何度も家に帰ろうとしましたし、逃げ出したいと思いましたし、都合よく死にたいと思ってました。

 

やっと休職し、地獄から抜け出すことができて、はじめは順風満帆でした。自分の体力の少なさには気づかないまま、憂さ晴らしのように人と遊びまくりました。

休職してから半年くらいのことです。休職したのが8月だったんですけど、12月くらいから不眠気味になりました。そして2月。とうとう睡眠障害が顕著にあらわれました。全く眠れなくなりました。それから私はまた地獄をみることになりました。

自分の体力のなさはこの時点でやっとあ把握し、予定も調整たてるようにしていたのですが、2月の時期はどうしても調整できない予定が続いたんですよね。そうしたら、全く眠れなくなっちゃって。めちゃくちゃ眠いし身体も疲れているのに眠れないの、マ〜〜〜〜〜〜ジで控えめに表現しても地獄でした。真っ暗な空間で何時間も経つのを疲労と泣きたさを我慢しながら耐え続けなければならない。

  

このときはとにかく精神も不安定で、「5分後の自分はどんな気分でいるかわからない」みたいな世界線で生きてました。家事をできる元気があるのか、はたまた泣いているのか、絶望した気持ちで死にたみに溢れているのか、全くわかりませんでした。ほぼ一切の予定を立てられなくなりました。

帰省してからもそれは続きました。起きなきゃいけないのに起きられない。おばあちゃんの家に挨拶にいこうと思っていたのに行けませんでした。そのときの家族は私の状態がよくわかっておらず、「怠けている」といわれていました。(それも普通にしんどかった)

計画恐怖症になりました。「あとで○○しよう」と言われても、「いつ遊ぼう」と計画や予定をたてても必ず「そのときできるかわからないから、早めに連絡するように心がけるね」と一言いうようになりました。(これを言える人間でよかった)

この時はカウンセリングに通っていたのですが、それすらも行けないことが多かったです。病院は睡眠薬が切れると困るので死ぬ気でいくようにしていました。(いったあとの病み具合が半端なかったことは覚えてる)

とにかく全てにおいて、自分のことが全く予想つかない状態に陥ったのです。このときは思考回路もバグってて、24時間体制で自分のことを責め続けていましたし。そんな中、「休んでもいいよ」なんていってくれる自分は存在しませんでした。

 

今こうして休んでいられる自分ができたのは、こういう恐怖を体験したからであると断言できます。そしてその辛さから一旦抜け出せた環境を作れた周りと自分の行動力に感謝。とはいえ、いつ戻るかわからない脅威もまだ存在しています。

 

 

  

 

話は戻りますが、現在コロナで1年半前に当たり前としていたような日常は消え去りました。人々は日常的にマスクが必須になり、マスクをしていないと入ることができない施設ができたり、うがい手洗い消毒がここまで徹底されるようになったのもコロナがあってのことでしょう。

会いたい人となかなか会えない。気軽に旅行に行けない。マスクは必須。むしろマスクもコーデの一部。どこへいっても検温必須。37.5℃以上は要警戒。3密は避ける。飲食店では飲食時以外もマスクを。会社員の在宅ワークへの切り替え。会えないからこそオンライン飲み会の開催。入院患者の面会禁止。などなど、様々な「今まではありえなかったこと」が当たり前になっています。

 

誰がこんな日々がくることを想像できたでしょうか?

少なくとも一般人である私たちには到底想像もつかない事態が今、起きています。

  

 

コロナ禍で大きく感じたこと。

「コロナが人々の日常をいとも簡単に変えてしまった」 

 

先ほど言ったこととはニュアンスが違います。

飲食店とか軒並み倒れてるじゃないですか。サービス業を中心にいろんな企業が次々と倒産しています。コロナによって彼らの人生は狂わされているのです。

それと、”人と会わない”ことで心が病んでしまう人も多い気がします。芸能人の自殺報道も目立ちますね・・・。

4年に1度開催されるはずのオリンピックも開催が危ぶまれ、学校が休みのお子さんたちの面倒を見なければならないご家庭が増えて家事育児がさらに大変になっただろうし、今が青春真っ只中の子供たちが通常楽しむはずだったものもたくさん奪っています。当たり前の概念が全て覆されました。

 

緊急事態宣言で一旦おさまったかのように見えても、またすぐに広まりましたよね。しかし私たちはワクチンができることを待つしかない。コロナの勢いがおさまることを待つしかできない。なんて無力なんだろうと思いました・・・。

 

 

私たちが当たり前と思っている日常は、案外当たり前ではなかったのかもしれません。

 

そんな中、変わってしまった日々に柔軟に対応している企業やフリーランスで働く人々、コロナ禍でできる最大限の遊びを考える子供たち、”ステイホームを楽しむ”という概念を作り上げた人々に私は拍手をあげたいです。コロナに対しては太刀打ちできないけれど、この環境下に順応している人々は賢いですし、なによりこの人間が無力とも思える状況に屈していないところが、もうめちゃくちゃにかっこいい。

 

ワクチンができ、緊急事態宣言も解け、ようやく私たちが少し自由になれるときがきました。コロナが決していいものとは言えませんが、皮肉にもこの機会があったからこそ、全世界が当たり前の日常の尊さを実感できたのかもしれませんね。

 

 

 

一刻も早く、私たちが自由に過ごせる日常が訪れますように。

 

 

 

あなたの毎日に少しでも希望がうまれますように。本日はこれにてサヨナラ〜!