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WordPressから移行しました。

逃げられない自分を逃してあげる方法。

とてつもなくお久しぶりです。もう2月の中旬ですが!(笑)あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。最近ブログを更新できていなかった理由ですが(言い訳タイム)、自分の中でまだ、特定のことを取り上げて発信できるほどに至ってなかったといいますか・・・。

 

というのも、人の価値観や考え方って、いろんな経験や月日を経て変わっていくじゃないですか。どんどん変わっていく自分の考えをその都度発信し続けるのって、自分の中で許せなかったんですよね。わかりやすい話、言うことがコロコロ変わる人って変じゃないですか?「コイツこの間はAを否定してたのに今日は違うこと言ってる・・・。」みたいな。(笑)

それくらい忙しいペースで私の思考回路は日々アップデートされてたので、なかなかこうしてブログに綴ることができませんでした。

 

 

しかし、今回ブログを投稿しているということは???

 

・・・・そういうことです。(ニチャァ

釈※自身の人生の中でもターニングポイントになるような大きな気付きを得たということです。

 

 

そしてブログを今回書こうと思ったのは、「私だけの気付きにしてしまうのはもったいない」と思ったからです。ここ強調します。是非、最後まで読んでください。

結論から述べるとわけがわからない話になってしまうので、今回の概要から話をさせてください。

 

 

 

今回の”気付き”の概要

今までたくさんつまづいてきたり生きづらさを抱えたりしてきたわけですが、大きく落ち込むタイミングは必ず決まって「自分には価値がない」と思ったときでした。逆にいえば、私が落ち込んでいないときって「何かしらの価値を自身に見出だせているとき」なんですよね。言葉にすると大袈裟ですが、ようは自分を極端に否定しなくて済む状態を指します。本日は下記の3本軸でお話をしていきたいと思います。

  1. ”自身の価値”を意識するようになったのはなぜ?
  2. 価値がないと感じてしまうのはなぜ?
  3. 今後生きやすくするために心がけていきたいこと

 

いつも通り、私の話から始まるので長くはなりますが、最後まで読んでいただけると幸いです。私にとって辛かった話などたくさんしますが、「辛かった」で思考が止まってたら、この記事は書いてません。(断言)

 

 

”自身の価値”の意識

自分の価値を習慣的に強く自覚するようになったのは本当に最近のことです。仕事にいけなくなってから。社会人になり働きはじめてからは、「誰の力も借りずに生きられる自立した大人」として自身を成立させたかったんです。

・親の支援を一切受けない

・仕事で充実している

これが私を成り立たせる絶対条件でした。抑うつで仕事にいけなくなったことで、「働いてない私にはなんの価値もない」と思うようになり、この概念は数年間にわたり強く私を苦しめてきました。

 

 

「自身を成立させる条件」みたいなものは学生の頃から持っていました。

別の記事でも話したことがありますが、私には尊敬する兄がいます。兄は中学生の頃から音楽の道を志し、音楽一筋に努力を貫いてきた人です。5つ歳が離れた兄の背中を小学生の頃から見て育ってきた私には、「なにかで自分を確立させなければならない」という思い込みが自然と身につきました。他と違うことをしなきゃいけないとか、将来の夢に向かって頑張るのが正しいことだと思っていました。

 

この間、高校生の頃の口癖をふと思い出したんです。

「生きてるだけで許されてた頃にもどりてえ〜」

当時は「でもまた勉強しないといけなくなるからこのままでいいや(笑)」なんて言ってましたが、「勉強して頑張らないと評価されないのダルいな」って、割と本気で思ってました。高校生のときの私の生活は学校と習い事の行き来がベースでした。たまに友達と遊んだり彼氏と過ごしたり・・・多分それなりの青春も送ってましたが、ただ淡々と繰り返される同じような毎日に違和感を抱いたことは多々ありました。わかりやすく言葉にするなら、「こんなんでいいの?」みたいな。しかし、そんな毎日に大きな革命を起こすような考えはあるわけもなく、やりたいこともないままダラダラと時が流れていきました。

 

学校に通っていればOK

グレなければOK

習い事を真剣に取り組んでいればOK

 

今歩いている道さえ外さなければ、とりあえず自分は「許される」と思っていました。大学生の頃も同じで、留年さえしなければいいと思いながら過ごしていました。しかし小さい頃から続けてきた習い事(クラシックバレエ)を辞める決断をする際は、ひどく悩みました。バレエをやめたら私は私じゃなくなるんじゃないかと思い込んでいたからです。親から「あかのはあかのだよ」と言われてなんとか救われましたが、当時は涙をボロボロ流しながら悩んだことを覚えています。先程”やりたいこともないままダラダラと時が流れた”と記述しましたが、”やりたいこと”や”進路”については、人一倍悩んだ気がします。

「自分の価値」といった堅い表現を当時の私は持っていませんでしたが、少なくとも中学生くらいの物心がしっかりついたころから、近いものを抱えてたんだなって思います。

 

 

価値がないと感じてしまう

「この条件を満たしていればOK!」は、逆に捉えると「この条件を満たさねばならない」なんですよね。ハードルの低い条件ならたやすく乗り越えられます。例えば、幼い頃は国の決まりとして義務教育が設けられ、私はその義務を果たしました。その後の学生生活は特に留年するわけでもなく問題行動があったわけでもなく、円滑に過ごすことができました。しかし、社会で一人の人間として親元から離れて生きていくと決めると「働くこと」が必須になります。

 

私は「働いて自分で稼げばそれでなにしようがOK!」と思っていました。しつこいようですが、これって逆に捉えると、

「働けないとダメ」なんですよ。

「働かないなんて許せない」「社会のゴミ」「社会不適合者(笑)」みたいな、今聞いたらあまりにもひどすぎてもはや笑ってしまうようなことを、私はずっと思ってました。宗教か?ってくらい、「働いて自立すること」に価値を見出していたから。だから無職やフリーターの人を見下してた。今思えば自尊心の保ち方を完全に間違えてたし、自己肯定感が相当低かったんだと思います。周りの価値を下げないと自分を保てないのは異常です。

 

私は働けなくなってからすでに何年も経っていますが、「私もう頑張れないかもしれない(働けないかもしれない)」と思った瞬間から、自分に一切の価値を感じられなくなりました。親から言われたわけでもないし、仕事の人から言われたわけでもない。ただただ自分自身が「働けない自分には価値がない」と思い込んでしまったんです。

 

 

 

「自分を価値付けるもの/自分を許せる条件みたいなもの」って人それぞれだと思います。そんな概念を特に意識することなく生活できている人も多いでしょう。しかし私のように「価値」に振り回される人生もあるのです。

そもそも自分を価値付ける必要があるか?みたいな話をしてしまうと本末転倒なので、今回は自分の価値についてこだわらせてください。そしてこれからの私の気付きについて読んでいただけると嬉しいです。(ここまで読んでくれる人ならもちろん読んでくれる・・よね?笑)

  

 

今後を生きやすくするために

最近になって気付いたんですけど、他人の目を気にしてたらキリがないんですよ。他人様は私の都合を知っているわけでもなく、私の心の中をのぞけるわけでもない。なーんにも知らないのに、私について得た情報を、他人のものさしで評価してくるんです。そんな他人のものさしをいつもいつも自分の心の中に意識しようと思っても無理じゃないですか?だって他人が私をわからないように、私もその人がどんな考え方を持っているのかわからないし、しかも他人の価値観が変わる場合もある。そんなのいちいち気にしてられませんよ!(笑)

とはいえ、私が生きづらさを抱える中で一番辛いと思うこと(現在進行系)は「自分に価値を感じられないこと」です。価値を感じられないから自分に対してなにかしてあげようという気は起きないし、自分を嫌ったり否定したりという感情もたくさんわいてきます。人のことも信じられなくなるし、純粋な愛も受け取れなくなったりする。

究極な話ですが、他人がどう思おうが自分が自分を信じてあげられれば、どんなどん底にいても救いや成功のチャンスをものにできると思ってます。

 

しかし頭でわかってても、そんなコロッとすぐには変えられないのが現状で・・・。(笑)そのため、「今はできなくても心がけたいこと」を作ることにしました。たくさんあっても困るので、2つだけ。

  • 自分の居場所をできるだけ多くつくる。
  • ひとつの物事で世界を終わらせようとしない。 

 

 

自分の居場所をできるだけ多くつくる

もし、仕事だけじゃなくて他にも自分の価値を感じられる居場所があったら?

そう思ったんです。私には仕事しか居場所がないと思ってたから、逃げる場所がなく追い込まれてしまった。何が言いたいかというと、自分がどこかでうまくいかなくても安心して逃げ込める他の居場所をつくってあげよう!ということです。例えば「本を読む時間をつくる」でもいいですし、散歩でもいいし、掃除でもいいです。お風呂にゆったり浸かるでもいいし、なにか新しいコミュニティを物理的につくりあげるのもいいでしょう。この居場所作りは人それぞれで自由ですが、一人で完結できる居場所があると尚良いです。他人が関わる場合、そこでまた疲れることもありますから。(もちろん、いい方向に作用することもあります!)

 

とにかく「自分のための居場所」を、自分がキャパオーバーにならない程度につくってあげてください。

 

私の例をあげます。外出予定を実行できなかったとき。

もちろん、自分を責めてしまうことは不毛です。どんな予定かにもよりますが、私の場合は大体の理由が「前日からプレッシャーを感じていた」「うまく睡眠時間を確保できなかった」とか、決まってます。昔はまたやってしまった・・・と自分を責めていました。

最近はなにかにつまづいたとき、「できないことよりできることに目を向けること」にシフトチェンジするようにしたんです。外出はできなかったけど、無理ない範囲で家の掃除をしよう。久しぶりにメイクしてインスタ更新しよう。歌の練習しよう。一旦今はどうしようもないから寝よう!とか。(笑)

 

こうしなきゃいけないという決まりはなくて、自分の気の持ちようの話ですから、このやり方が正解!とかはありません。私のやり方が万人に通用すると思っているわけでもありません。しかし、たしかにいえることは、私はこれで自分を楽にしてあげられています。

 

一つの物事で世界を終わらせない

生きていく中で辛いことや苦しいことはたくさんありますが、とりあえずそれで世界が終わるわけではありませんよね?ひとつダメなことがあったとして、それで自分の人生が終わることありますか?この世が滅亡しますか?しませんよね!!!!

一つの物事を考えすぎて振り回されると、単純に疲れます。そこから学びや気付きを得る(私は毎回メンタルすり減らしながら気付いているような気がする)もありますが、世界を終わらせる勢いで悲しむ必要はないと思います。自分の感情を抑えなきゃいけないとか、元気でいなきゃいけないとかそういうことではありません。

 

これにかんしては適切な表現が言葉の通りすぎて申し訳ないんですけど、一つのことで世界を滅亡させないでください。世界が足りません。

 

 

と、冗談まじり?(伝えたいことは真剣です)な話もさせていただきましたが、あなたの苦しみや悩みは、必ず似たようなものを他人も抱えています。悩んでるときや悲しいときはひとりぼっちで不安だけど、たまには脳みそを緩めて、少しでも生きやすい楽な世界線に自分を連れてっていく勇気を持ってみてください。新しいものが見えてくるかもしれません。

 

 

 

あなたの毎日に少しでも希望がうまれますように。本日はこれにてサヨナラ〜!